「受け入れる」 善悪や道徳をフツウに弁えている人間が持たなければいけない大切なアクションの1つと、今日の様々なニュースを見て感じました。
本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
1つめは、しばらくマスメディアの話題をさらい続け、草なぎ剛さんの件。
草なぎ剛さん謝罪「SMAPに戻りたい」(イザ!より)
このニュースを見て、まず誰しもが感じる「ビックリ」という驚きの後、お酒を嗜む方の多くは
「分かる」
と直感的に感じたのではないでしょうか。
#僕も同じように感じました。
また、「直感的に感じた」と認知していない“お酒を嗜む”方でも、心の奥底ではどこかに「分かる」という思いがあるような気がします。
僕自身は全裸になったことはないですが(笑)、「記憶をなくすまで呑む」「部分的に記憶がない」状況というのは何度も経験しています(とくに後者)。
大学生時代、記憶をなくすまで呑んだときは、身につけていた様々なもの(眼鏡など)をなくすことも―。
僕の場合はただ単に「全裸になりたい」という(潜在意識を含めた)気持ち!?が、「酩酊状態」のときになかったため行為に移ってないだけで、草なぎさんは自分でも気づかない潜在意識の中で「全裸になりたい」という気持ちがあったんでしょうね、きっと。
だから
「分かる」
んです。
ただ、「酩酊状態」になっても「全裸になること」は“やっちゃいけない”ことですよね。
だから、草なぎさんの行為自体は(もちろんですが)「ダメッ!」とは思います。
…が、行為を否定し、そこから人間性にまで言及、どこかの大臣のように「最低の人間」という発言に及ぶような気持ちは全くありません。
具体的な行為自体に対しどうこう、ではなく、一人間―だらしないことも沢山ある弱い人間の1人―として「分かる」という気持ちがありますから。
根拠があるわけではなく、様々な人間と接して感じる経験的・感覚的なものですが…
行為だけを見て、その行為を激しく否定する気持ちから、行為をした人間の性格まで否定する方のほうが、「やっちゃいけないこと」をやるような気がします。
そこには「受け入れる」という寛容さがない―寛容さがない人は、潜在意識の中では自分でも信じられない欲望があった場合、ちょっとしたキッカケで、潜在意識が具体的な行動に移りやすいと思うのです。
余談)「寛容」であることは、教育に携わる上で、僕自身が最も大事にしていることの1つです。
自殺という行為の否定から、自殺する方を否定する人が、一番自殺をしやすい、なんて話も聞いたことがあります。
自殺は自分が「信じられない」行為であって、自殺という行動にでるのは「信じられない自分」になったときに他ならないわけですから。
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