『論理的であることは、説得力がある。』のかどうかを論理的に考えなければなりません。 「これ不良品やろ。返品するから、カネ返せ!」というクレームに、「お客様、結論としては、それには応じかねます。理由は3つございます。1つ目は・・・。」なんてロジカルな対応はイイわけないのです。
初めは??と思いましたが、“ロジシン”と略して呼ばれるくらいに、ロジカルシンキングが大流行です。検索すると、山のようにロジカルシンキング研修が出てきますから、ブームに乗っかろうという研修会社も多いようですし、本屋さんにも沢山の“ロジシンブック”が並んでいます。さらに、ロジカル・プレゼン、ロジカル・ライティングと派生的に商品が増えてきて・・・。
勉強している方に聞きますと、概ね社内外の会話・交渉・商談において「説得力をつけたい」ということのようですが、『論理的であることは、説得力がある。』のかどうかを論理的に考えなければなりません。(説得力がある話は全て論理的か、論理的な話は必ず説得力を持つのか、ということ。)
私だけではないと思いますが、「当たり前のことを論理的に話される」よりも、「気づかなかったこと、面白い視点からの話を脈絡なく話される」方がよっぽど嬉しいし、心が動きます。「普通の内容を、正確に端的に話される」よりも、「本音と熱意のある、まとまりのない話」のほうがグッときます。
論理的であるというのは、ツリー(論理構造)が出来ていて、根拠・理由にモレやダブリがなく、結論と根拠に明確な因果関係があるといった条件が揃っていることですが、そうなっている話でも、その内容・メッセージが、皆が直感的に感じている結論を証明・説明しているに過ぎないなら、聞く側は「やっぱりね」「ああそう」となるだけです。
ということは、論理的であることより大事なこと、論理的だけでは足りないことがあるということです。仕事の相手や仲間が自分の話に納得・共感し、動いてくれるようになることが目的であるとするなら、論理的であることはその目的を達成するための十分な条件ではないわけです。
説得力というのは、切り口がユニーク、アイデア・発想が良い、多様な視点から見ている、掘り下げてある、といった内容を論理的にまとめてあるときに生まれる。切り口の面白さを大切にして、四方八方に着眼とアイデアを拡散させた後、出てきたものを収束・整理する技術としてロジカルシンキングが登場しなければなりません。そうなって初めて、聞いた人が興味を持ち、納得して動いてくれる内容となるわけです。
ロジシンブームを見ておりますと、論理的に話すことによって、その良さを失ってしまう人もいるんでは・・・と考えてしまったりします。「これ不良品やろ。返品するから、カネ返せ!」というクレームに、「お客様、結論としては、それには応じかねます。理由は3つございます。1つ目は・・・。」なんてロジカルな対応はイイわけないのです。(そんなロジカルかぶれには、普通ならないと思いますけど・・・。)
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2009.05.31
2009.08.01
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。