子ども達に、学問の面白さを伝えていくことが教育には必要だ! …それって、ホント? いや、面白さが伝われば理想ではありますけどね… 伝えたい、は、伝わらないんです、きっと。
しかし残念なことに、「学問の面白さを伝えたい!」と叫ぶ人は、教え方が下手な場合が多いんです。
どうしても人間、自己体験に基づき相手に伝えることから始めるわけで…
「学問の面白さを伝えたい!」と叫ぶ人は、自分が面白いと感じた過去の軌道と同じ体験をさせようという気持ちが強すぎて、相手の立場に下ろすことができないようです。
有馬氏が抽象的に語る「学問の面白さを伝える」ということを具体化しても、きっと相手の「面白い」という感情を引き出すことができないのではないか、と感じました。
大切なのは、「教える」のではなく「育む」こと。
大切なのは、「伝える」のではなく「伝わる」こと。
「学問の面白さを教えたい(伝えたい)」という人は、徹底的にこのことを頭に入れ、相手の共感を生むような「教え方」「伝え方」をして欲しいと思うのです。
そしてまた、お分かりかと思いますが、「教え方」「伝え方」は通り一辺倒のものではありません。
手を変え品を変え、相手の興味関心を引き出させる手法を「教え手(伝え手)」は磨き続けるべきなのです。
たとえば僕が10代の頃。
どれだけ先生が「この事象って面白いと思わない?」といきなり問いかけられても、面白いと感じたこと、ほとんどありませんでした。
僕にとってまず、その事象を取り巻く学習内容~要するに「テストに出るようなこと」~が「わかるようになること」「できるようになること」が「面白さ」への第一歩であり、どれだけ(その人が)面白いと思っていることであっても、このハードルをクリアーしない限り「面白さ」は伝わってきませんでした。
#とってもヤなガキンチョですけど。
学問の面白さは、伝えたくても伝わりません。
勉強なんて本来、つまんないものなのです。
…という認知から、「どうやったら相手が学問を面白いと思ったり、少しでも勉強が楽しくなったりするだろうか」と自分自身に問い、考え、試行錯誤し、そして相手に提供する、という教育者の方が、抽象論で「学問の面白さを伝えたい」というダケの人より成果を残す場合が多いのではないでしょうか。
もちろん、心底ワクワク、学問に面白く取り組んでいる“スーパー”教育者は、その姿を相手に見せるだけで「伝わる」でしょうけどね。
※次の記事で「基礎的一般教養をきちんと教えるとはどういうことなのか」について触れたいと思っています。
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