「足るを知る」。大好きな言葉の一つです。 定額給付金という政策が実施されることは、「足るを知る」という考え方を育成することと逆行しませんか。
本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
定額給付金の支給、とうとう(!?)決まってしまいましたね。
決まってしまった以上は僕も頂戴します(ありがたく)。
その政策が気に食わないからもらわない、というのを「キレイ」とか「潔い」とかいうのは違うと思っていますので。
※そういう姿勢を貫く人は「(いい意味で)凄い人だな…」とは思いますけど。
決まった以上は決められごとの中で、人に迷惑をかけるわけでもなく、許されている権利を行使するのは、たとえその政策に対して異を唱えていたとしても至極自然なことではないですか?
個人のご都合主義だーなんて言及される以前の問題として。
「気に食わないからもらわない」という姿勢は、少し見方を変えると、「ある(会社や、学校での)ルールが変だと思うので従わない」と同じともとれますもん。(理屈上は)
だから、「もらわない」人は「凄い」と思う一方で、(僕が「もちろんもらうよ」と言った瞬間に)「お前あれだけ“定額給付金は愚策だ”と主張しておいてちゃっかりもらう、なんてよくないでしょ」という人は違うと思います。
ルールや決まりごとの中で、それに従って行動しているに過ぎませんから。
※逆に安易に、上記のように批判する人に限って、「制約」のときに従わない人が多いような。
…なんて議論はさておき。
不景気、だから(国家予算から出血して)給付、という発想そのもの、嫌いです。
この発想は、「社会の成長が他人によって保障される」という考え方が本質にあり、また、社会の成員にそのような人間を誘発するようなものですから。
日本に国際競争力がある程度あった(と体感温度で感じられる)時代だったらいいんですよ。
だけど今は決してそうじゃありません。
そんなとき、景気が悪くなれば、やるべきは2つに1つ。
「足るを知る」思想を社会の成員が身につけ、ちょっとしたところにも幸せを感じるようになるか、成員自ら産業創出し国際競争力に再び強みを持たせるか、
どちらか(あるいは、どちらも)しかありません。
これ以上次の世代に負の遺産をもたらすようなやり方はやめましょうよ。
「やった」という事実そのものも負の遺産ですし、その事実が波及する影響も負のスパイラルを起こしますし(長期的には)…
自ら産業創出しようとせず、そして「足るを知る」思想性すら(社会の成員に)身につけさせないような施策なんて、決してやるべきじゃないんです。
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