最近、世の中があっちへ大振れ、こっちへ大振れする 。歴史的にみても、社会がシーソー化するのは悪い予兆。2009年以降の新秩序には、一個一個の人間の意志的楽観主義が必要だと思います。
また、その中心に
神道があるのでもなく、仏教があるのでもなく、儒教があるのでもない。
神道がありながら、仏教もあり、儒教もある。
これは、東洋哲学でいう「空(くう)」の概念を理解していないと
なかなかすっきりと説明できないことですが、
余裕のある方は、空の概念を押さえた上で、河合先生の同著を読んでみてください。
ともあれ、日本人の心理や思考の器は、民族的に、「空」という状態でさまざまなものを
融合して受け入れる、すなわち創造的な中庸をつくりだす
しなやかな粘りの強さがあったといえます。
ところが、ここへきて、どうも日本人の心理・思考の器が
ほんとうに「中が空(カラ)っぽ」になってきたような気がします。
中が「空(くう)」なのか、「空(カラ)」なのかは天地雲泥の差です。
心理・思考の器が単に空っぽであることは、
外界でいろいろ起こる現象に、ただ「反応的・感情的」に振舞うだけで
行動が極端から極端に移ろう危険性が出てきます。
いままさに、一個一個の日本人が、
「くう」のしなやかな粘り強さを保持し続けるのか、
「カラ」になってぎっこんばったん翻弄されるのかということを
問われる時代になってきているのだと思います。
科学技術が人間の欲望を容易に増大する環境にありますから、
個々人間の心理・思考構造が「カラ」になると、
社会はいとも簡単にカタストロフ的な極端に振れることにもなりかねません。
そういったことから、最近の状況を「2・26事件」前になぞらえる人もいるのでしょう。
確かに、
ドイツの社会心理学者エーリヒ・フロムが『自由からの逃走』で分析してみせたのも、
個々のドイツ国民が思考を停止させ、自由であることから逃げ、
やがてはナチ・ファシズム容認という極端に流された歴史的事実でした。
「虎は虎であることをやめること、
すなわち非虎化されることができないのに対し、
人間はたえず非人間化される危険性のなかに生きているのである」(『人と人びと』より)
―――とは、スペインの哲学者オルテガの言葉です。
◆意志的な楽観主義
2009年が歴史的に大きな意味をもつ1年になることは確かです。
もちろん、国内・国際問わず、政治や経済の指導者たちの英断と行動を求めるものですが、
最も根本で大事なのは、
一個一個の人間が、しなやかに強くなることだと思います。
そのためには、野暮な言い方ですが、
一個一個の人間に「まっとうな観」を涵養していく以外にないと思います。
思索を促す、
信条を姿として見せる、
倫理を示す、
徳を育む、
生き様の対話をする、
古典書物へと導く、
美へと誘う、
夢や志を語る・・・などのことを
親がやらなくなった、学校もやらなくなった、
ましてや会社や社会はやらない。宗教界もほとんど期待できない。
(もちろん、立派な親や先生、学校、上司、経営者、政治家、宗教家が少なからず
いることを知っていますが)
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2009.01.13
2009.01.15
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。