「自分で調べましょう」と回答することの是非。

2008.11.12

ライフ・ソーシャル

「自分で調べましょう」と回答することの是非。

寺西 隆行
(株)Z会

mixi内、「東京大学コミュニティ」にて、11月3日に下記のような質問が挙がりました。

「このくらいは自分で調べないと、最終的には求める果実が得られる自分になりませんよ」

と丁寧に言っても、わからないでしょうね、きっと。

・「答えない」こと

質問者の「問題解決力」不足ということを気づく機会を与えることにつながりません。
僕の感覚では、「答えない」より「自分で調べようね」と答える人のほうが「親切」に映ります。
※「答えない」ことが不親切、というのではないですよ。

・丁寧にレベル、倍率、問題数を教えてあげること

レベルや倍率について含めると話がややこしくなりますので、単純に「問題数」(つまり、普通に東大合格に向けた学習をしていれば、どれだけ遅くても夏休みまでには把握している情報の類です)を教える、という行為についての是非、とします。

問題数を教えて、質問者は新たな知識を得ます。
しかし、この知識を得た、ということで、また別の問題が生まれます。

◆理3に合格するために必要な問題解決力への最初のハードルを越えようとする機会を失わせる。
◆そもそも「人から得る情報は嘘もある」ということに気づかないまま進んでいくかもしれない。

また、回答者からしても、「そのときはたまたま時間がたんまりあって教えてあげられた」かもしれませんが、同じレベルの質問の回答を期待され続けると、時間がいくらあっても足りないことが想起されます。

本当に優しさを発揮するのであれば

「レベル、倍率、問題数を解答し、“これくらいは自分で調べる問題解決力がないとまず合格できるレベルではないですよ”と諭す」

のが一番いいのかもしれませんが、諭しても本人が「わかってくれる」か「教えてくれる人がここにいた(だかた次回からも聞けばいいんだ)」という状況に(無意識に)甘えるか…どちらに転ぶか、わかりませんね、正直。

mixiではほとんどが、半ば批判染みた「自分で調べましょう」的回答でした。
それで本人、少しは気づく部分もあったようなコメント返しをされていました。

質問への回答として「自分で調べましょう」という回答を用意することの是非、考えることが多いです。教育に携わっていると…。

追)本記事は個人のブログ中に掲げたものですが、コメントに示唆に富んだものを頂戴しましたので、引用し掲載させていただきます。

===

どうなんでしょうね。
最近の子達はきちんとした「調べ方」を知らない,という一つの好例なんじゃないかと思うんですが。
最近は「なんとか知恵袋」とか「教えて!なんとか」とか,そういう質問・解答に特化した掲示板システムすらあるわけで,「ネット上で気軽に人に聞く,聞ける,答えもそれなりに得られる」というのが常識化しつつあります。
(逆にいうと,「お手軽に答えてしまう思慮のない大人」がかなりいる,ということでもありますが。)
(ついでに言うと,上記のような「質問掲示板」は,智の集約という意味では大変優れたシステムなのですが。)

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寺西 隆行

寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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