~変化への対応を誰が求められているのか~ 歴史が示すように、各時代に、幼年期、青年期、そして、成熟期が存在した。
一方、冒頭で述べたように、この変革の潮流を誰が感じているのか。日本全体で見た場合、各領域を代表する人々というよりも、各領域の普通の人々である。これからの時代を担う若い人々にとって、情報社会が常識の時代でもある。物心ついたときから、携帯電話がある生活、インターネットを辞書代わりに検索する、製本された百科辞典を知らない世代である。また、情報感度の高い中堅層においても、変革の必要性を感じているのに、各領域の長は、それを感じることができていない。
社会基盤は、組織やその階層といったスタイルから、情報技術の進展により、ネットワークを中核に据えるスタイルへとも変化を加速している。従来、一部の上層部でしか、知れなかった情報は公開され、誰もが同じ情報を同じタイミングで入手できる。また、そのような情報共有のスタイルではないと組織が活性できず、存続すら危ぶまれるのだ。そういう意味で、組織やその階層の相違による情報の差は無くなりつつあり、組織やその階層主導から、個人主導の時代が始まっている。
逆の観点(組織に属する個人という観点)からは、自己が管理されると同時に庇護されていた時代から、自己経営の時代へと移行しつつあることを理解すべきではないかと感じるのである。
情報社会においては、個人の判断、企業活動においても属する個人の判断と責任において、溢れる情報から如何に人と違った優れた付加価値を生み出す事ができるのかが問われるのだと思う。つまり、判断から富が生まれる時代なのだ。
まずは、各領域の長においては、この変化を良識と危機感をもって対処することを望みたい。
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