/そもそも、成功したのは、誰なのか。メフィストに言われるままに演じている役が当たっただけ、周囲の人々もただ狂ったサルたちが恐いだけで、本人のことなど、ほんとうはだれも本気では評価していない。それが魂を売って、悪魔の操り人形になるということ。/
一発当てて、人生を逆転したい。そんな青臭いやつが、いいカモだ。ある晩、やつがやってきて、耳元でささやく、金持ちに、スターに、政治家になってみたくはないか、と。その悪名を知らないではない。だが、心が揺れて、言われるがままに、契約のしるしとして、やつの尻を舐める。すると、やつは、親切に振り付けを教え、そのとおりに手を上げ、足を上げ、セリフを決めていると、やつの子飼いの、頭のいかれたサル、マイナスたちが大喜び。その凶暴なサルたちを恐れて、その他の人々も、みな言いなりだ。こうして、またたく間に、約束の成功が手に入る。
『メフィスト』(1936)は、ナチス台頭期ドイツのクラウス=マンの小説。主人公ヘンドリックはコミュニストだった過去を隠し、ゲーリンクに近づき、親友だった同士オットーを見殺しすることで、ナチス俳優として政治的に大成功。しかし、自分の実力が賞賛に値しないことを自覚しており、また、死んだオットーの仲間が、過去を暴いてやる、と脅しにやってくる。まあ、コミュニストも、ナチストも、結局は似たようなもの。いったん契りを交わした者が足抜けすることをけして許さず、地獄の底まで追いかけてくる。
そもそも、成功したのは、誰なのか。メフィストに言われるままに演じている役が当たっただけ、周囲の人々もただ狂ったサルたちが恐いだけで、本人のことなど、ほんとうはだれも本気では評価していない。それが魂を売って、悪魔の操り人形になるということ。その糸を自分で切ったりしたら、凶暴なサルたちがその裏切り者に襲いかかり、人々も手のひら返しで、見捨てて踏みつける。
いまの時代、メフィストにでも頼らなければ成功できない、と言うかもしれない。しかし、それはほんとうか。たしかに、メフィストは成功を約束し、その約束を妙に忠実に実行してくれる。だが、一度でもやつの力を借りたら、手足全身の隅々にまでその獣の名を書き込まれ、もう永遠にやつの尻を舐め続けるしかない。それを止めれば、その瞬間から、地の底に叩き落とされるだろう。だから、やつに魂を売った者は、もはや自分でその名を消すことなどできない。
しかし、いかれたサルたちの熱狂は、やつが見せる幻影だ。そいつらは、自分の心を失った亡霊たちの変わり果てた姿。そんな亡霊連中に囲まれて喜んでいると、いよいよ自分の魂も空虚に成り果て、そこに代わってどす黒い怨霊が巣くって、全身を蝕まれ、人生を腐らせていく。そうなってからでは、もう引き返せない。
だが、メフィストも万能では無い。自分のサルたちを使っていろいろ邪魔はできても、もとより関わりの無い者まで引きずり落とすほどの太い糸を、やつが最初から握っているわけではない。だから、自分の人生の糸の端を、けしてやつに手渡すな。その甘い言葉のささやきに耳を傾けるな。魂を売った成功は、きみを幸福にはしない。きみはやつに殺され、もうそこにはいないのだから。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。