ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。 10月1日から消費税率が10%になりました。食料品などの軽減税率をめぐって飲食店や商店などにおける混乱ぶりが大きく報道されましたが、電気は生活上のもっとも重要なインフラのひとつ。 しかしながら、軽減税率は適用されません(ただし一定期間の「経過措置」によってしばらくは8パーセントが適用される場合があります)。そこで今回は電気料金の変遷をざっと概観してみましょう。 ※記事でご紹介するものは主に東京の一般家庭をモデルにした数字です。
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月額3万円以上と高価だった、明治の時代の電灯料金
日本で最初に電灯がともったのは、明治11(1878)年、電信中央局の開局祝賀会でのこと。ただこれはまだアーク灯と呼ばれる、15分も続いて灯っていれば上出来というレベルのものだったようです。
それでも初めての電灯の光は参加者を大きく驚かせました。その後白熱灯が使われるようになり、日を追って利用者が増えるようになっていきます。
明治20年代の電気料金は、日暮れから翌朝までともっている契約コースで一口の月額が1円70銭。
当時の米一升の値段は7~8銭、銭湯の入浴料が2銭の時代です。単純な計算をしてみると、10燭光(10ワット程度)の電灯の料金が一つだけで、月額3万円以上したことになります。最初期の電気料金の高さがわかります。
この頃の一般家庭の明かりはまだ石油ランプでした。当時の電灯会社の宣伝文句に「油の注ぎかえの手間や掃除を考えると電気のほうが便利で安い」などとあります。当初は「電気」といっても、家庭向けに電化されていたのは電灯が中心だったのです。
さて、電気が普及した大きなきっかけは日清戦争(明治27~28年)でした。鉄鋼、紡績などの軍需産業を中心に経済が飛躍的に発展し、工業化に必要な電力が社会全般で重要な意味を持つようになったのです。西暦でいう1908年の明治41年には全国の電灯は100万灯を超えました。といっても電灯のある家はまだまだ限られていました。
さて、大正時代~昭和時代になると、社会全般に電化が進みました。この間、電源開発などを理由に電気料金は上がっていきます。終戦の昭和20(1945)年の1キロワット時(つまり1キロワットを一時間使った単位)あたりの料金は月額20銭。当時のかけそばの値段が15銭。
大ざっぱな計算をしてみると、1日6時間1キロワットを使ったら、現在の貨幣感覚では月5万円ほどかかったということになると思われます。
さらに昭和26(1951)年には、1キロワット時の電気料金は7円60銭でした。当時、インフレが進行していたことを考えても、まだまだ電気料金は高かったのです。
時代は変化し、電気小売自由化へ
電気料金の水準を決める要素は、さまざまです。社会全般の経済動向や景気はもちろん、国際的な緊張が原油価格に影響して電気料金が高くなることもあります。近年では東日本大震災発生後に、火力発電のウエートが高まった結果、電力料金の値上げが行われたのは記憶に新しいところです。
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