/「害」であろうと、「碍」であろうと、漢語としては、妨げる者。だが、その人は、その人として、そのあるようにあるだけ。それをまともに受け入れない、受け入れられない周囲や社会こそ、その人にとっての文字通りの「障害」。/
ようするに「障害」などというのは、もともと当人の属性ではない。その人は、その人として、そのあるようにあるだけ。それをまともに受け入れない、受け入れられない周囲や社会こそ、その人にとっての文字通りの「障害」。にもかかわらず、それを、おためごかしに文字面を弄ぶのみで、あいかわらず自分たちの責務を先送りにするようなやり方は、卑怯卑劣。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。