ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。 今回は、鉛筆などの文房具がテーマ。以前紹介した日本語ワープロの回でも触れましたが、現在、多くの人は、パソコンのキーボードに「入力」するか、スマホやタブレットを指で触って文字を入力しているでしょう。筆や墨、そして鉛筆がまったく使われなくなったというわけではないにしろ、日本語を書き表す方法がここ百数十年で劇的に変化したのは事実です。 今回は、主に近代以降の鉛筆を中心とした文房具の歴史と値段の変遷を、大ざっぱに追ってみましょう。 参考:佐藤秀夫:『ノートや鉛筆が学校を変えた』(平凡社)
昭和40年の高級材を使った新商品「ユニ」は50円でした。現在の鉛筆は用途別に200以上のアイテムが揃っていますが、通常のものは50円ほどのようです。冒頭に書いたとおり、筆記具のさまざまな変化で鉛筆はかつてほどの需要はなくなっていますが、入試でのマークシートへの記入は鉛筆が推奨されるなど、鉛筆が社会から消えてしまうことはないでしょう。
明治の小学生は「石盤」を使っていた
さて、筆記具とともにビジネスにも学習の現場にも欠かせないのは、ノートです。
江戸時代の寺子屋では、学習の基本はお習字でしたから、半紙をとじた「手習双書」を練習用のノートとして使っていました。商人は大福帳です。
毛筆ではなく鉛筆やペンでの筆記に向いているように加工され、横ケイが引かれた洋紙をとじた、いわゆる「大学ノート」も最初は輸入品でした。初めて日本で製造販売されたのは、明治17年のこと。ちなみにこの「大学ノート」という名称は、一説には帝大生ほどの優秀な学生でなければ使えないから、この名前がついたともいいますが、いつ誰によって名付けられたのかは不明です。
明治の時代、ノートも高級品だった
明治45年当時の価格は、大判のもので75銭。現在では700~800円という値段に相当するでしょうか。結構高かったのですね。
おもしろいことに、明治末期のこの時期にも用紙を差しかえることのできる、ルーズリーフ式のノートが発売されていました。ただし価格は通常のノート10倍以上したようです。これらは、ビジネスマンの手帳用としても売られていました。
初等教育の現場では昭和初期までは生徒は、小さな薄い石板をノート代わりに使っていました(「石盤」と呼ばれた)。黒板と同じく、何回も消して書くことができたので、反復学習に向いていたのです。これは明治初期では十数銭から20銭ほどで売られていたようです。
現在ではもっとも一般的な大学ノートでしたら、一冊数十円で売られています。ただし、用紙やデザインに凝ったもの一冊は1000円以上するものもあります。
── 現在ビジネスの世界ではもちろん、教育現場でも電子黒板や電子ノート(タブレット)などが使われ始めています。しかし考えてみると、鉛筆とノートですら普及してから百数十年の歴史しか持っていません。ビジネスに必須のノートパソコンですら20~30年ほどです。ビジネスツールも文房具も社会の変化に大きく影響されるのですね。
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