ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。 今回は、宝くじがテーマ。「宝くじ」のような仕組みはなんと古代ローマからあるようです。それは大ざっぱにいって、大規模事業を行おうとするときに、税金などでは追いつかないので、広く大衆からお金を集めようとする手段として使われてきました。 ここでは、大山真人『宝くじ戦争』(洋泉社新書)などを参考に、主に昭和時代に「宝くじ」が日本社会に普及するようすを振り返ってみましょう。
ただしこれらは、元金が保証されていたため、まだ「債券」というべきものでした。
明治以降の初めての宝くじというべきものが、昭和20(1945)年7月に発売された「勝札」です。目的はもちろん戦争遂行のための軍事費調達です。一枚10円で元金保証がないため、賞金を増額することが可能になり、一等賞金は10万円200本。
ただしご存知のとおり、この頃の日本は全国の主要な都市は連合軍による爆撃で廃墟のようになっていた時期です。売れ行きは好調でしたが、「勝札」の抽選を待たずに日本は8月15日に無条件降伏をしました。つまり、「勝札」は「負札」になってしまったのです。
戦後復興のため終戦直後に誕生した宝くじ
終戦直後の昭和20(1945)年10月には、早くも戦後復興資金調達、インフレ抑制のために宝くじが売り出されました。
「宝くじ」と名付けられたのはこれが初めてです。一枚10円、一等賞金10万円、空くじでもタバコがもらえるということもあり、大人気となりました。
翌年には都道府県でも発行できるようになり、日本勧業銀行が発行を受託することになりました。昭和29(1954)年には政府宝くじは廃止され、都道府県と政令指定都市のみの発行となって現在に至っています(現在は一般財団法人日本宝くじ協会の発行)。
昭和40(1965)年に最高賞金700万円だった宝くじは、800万円、1000万円と増額され、法律改正によって賞金はさらに高額化しています。現在は、全国自治宝くじ(ジャンボ宝くじ・通常宝くじ・数字選択式宝くじ)は一枚100~500円で、一等賞金は2015年の年末ジャンボ宝くじの賞金は、前後賞あわせて10億円でした。
そういえば、つい最近まで一等賞金は前後賞あわせて4億ほどでしたが、一気に2倍以上に跳ね上がったのは、低迷する宝くじの売り上げ回復に向け、くじ1枚当たりの金額の100万倍までと定められている1等賞金の上限を250万倍に引き上げる方針を国(総務省)が2010年に決めたから。
現在では宝くじの種類も多様化し、ナンバーズ、ロト、スクラッチなどのほか、サッカーくじ、BIGがあるのはみなさんご存じの通りです。売上額は当選賞金のほか、自治体の公共事業費など、また災害復興などに使われることもあります。
── 軍事費調達、公共事業、災害復興など時代とともに目的は変わるものですが、一攫千金にかける庶民の夢は変わることはありません。一等賞金の10億円は途方もない金額ですが、買わない限り、当たらない、これはどんな時代のくじにも共通して言えることでしょう。
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