ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。
現在は携帯電話、電子メール、SNSなどのさまざまな通信手段が普及しています。この進化によって、相手の電話番号を知らない、住所もなんとなくしか知らない……ということも当たり前になっています。
例えば、今からちょうど100年前は第一次世界大戦が終結した1918(大正7)年になりますが、郵便制度が始まったのが、その3年前の明治4(1871)年4月20日。当時の郵便配達人の服装は、紺色の「法被」に「竹の子笠」を頭にのせ、股引き、脚絆、わらじといった出で立ちでした。隔世の感がありますね。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較する8回目。今回のテーマは郵便料金です。
竹の子笠から制帽へ、脚絆からズボンへ、わらじから靴へ
手紙は古代から存在しますが、近代以降の郵便制度はそれまでの変化とは比較にならないくらい急激に発達しました。
郵便博物館のサイトによると、郵便が創業したのは明治4(1871)年4月20日であり、冒頭でも触れた通り当時の配達員の服装は、紺色の「法被」に「竹の子笠」、股引き、脚絆、わらじといった出で立ち。その翌年には和服から洋装に変わり、襟とズボンに赤い線、笠と袖には「丸に一引き」の最初の郵便マークが付けられたとされています。また、おなじみの「〒」マークが登場したのは、明治20(1887)年のこと。この「〒」が逓信省の徽章として制定されたのも同年になります。
竹の子笠から制帽へ、脚絆からズボンへ、わらじから靴へ……と、配達員の出で立ちだけでも劇的に変化したことがわかる郵便制度ですが、今記事では郵便料金の変遷をたどっていくことにしましょう。
前島密による日本の近代郵便制度の誕生
郵便が創業する明治4年(1871)以前の江戸時代は、宿場などを飛脚や馬で結びながら手紙をやり取りしていて、幕府と朝廷などの公文書のやり取りも、東京・京都間を飛脚や馬が往来していました。お値段の観点で東京・京都間の公文書のやり取りを見てみると、その総額は年間約1万8000両。1万8000両を現貨幣価値に換算すれば1億8000万円にも上ります。
それまでの飛脚制度を、郵便ポストと切手を導入した新制度に刷新するため、アメリカの通信制度などを参考にしながら改革を断行したのが「日本近代郵便の父」と呼ばれる、現・新潟出身の前島密(まえじま・ひそか)です。
新たな時代が開花した明治維新後の日本では、国のあり方が抜本的に見直され、その改革の手は飛脚や馬による連絡手段にも向けられることになり、政治家として日本の近代化に大きな役割を果たした前島密は、通信制度改革の一環として「郵便」「切手」「葉書」の名称も考案します。
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