方法やプロセスはその人そのものを写す。方法やプロセスにかけた厚みこそ、その人の厚みになる。だから私たちは安易に教わりすぎてはいけないのだ。
いずれにせよ、「よりよく働くこと・自律的に職業人生を切り拓くこと」のやり方は、自分自身が見出さねばならない。その方法・プロセスこそ、その人の人生そのものだし、自らが抱く価値の体現だからだ。そこの部分は、時間がかかろうが、不器用だろうが、まわり道をしようが、自分でもがいて築いていくしかない。
書店に行けば、「3日間で人生を変える魔法の●●」式の指南本がたくさん出ている。確かに、その中には有益なことも書かれているだろうが、そうしたものに頼っても“Easy build, easy fall”(お手軽に出来て・容易に崩れる)の域を出ない。人生の成功を即効的に刈り取りたいという考えに疑いを持つ人でないかぎり、深い生き方には入り込んでいけないと思う。
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芸術品や工芸品を観るとき、作品という成果のみに目がいきがちだが、私はつくり手の創作プロセスや方法に興味がわく。そこを知ることによって作品の味わいが格段に深まるのは言うまでもないが、「生きる・働く」うえでの力をもらえるからだ。すごい作品というのは、技術や発想がすごいというより、そこに達するまでの自己との戦いや鍛錬、執念の物語がすごいのだと思う。そのプロセスの一切合財がいやおうなしに作品や技術に宿るからこそ緊迫感のある名品が誕生する。
いま濱田庄司の『無盡蔵』(むじんぞう)を手元に置いて読んでいる。濱田庄司といえば、ありふれた日用雑器の焼きものだった益子焼(栃木県)を、世界にその名を知らしめるレベルにまで高めた陶芸家である。
濱田は陶芸を英国で始め、沖縄で学んだ。36歳のときに益子に移り住み、以降40年以上そこで作陶人生を送る。実は益子の土は粗く、焼きものに最上のものとはいえない。それを知った上で濱田はそこに窯を築いた。なぜか。濱田はこう書いている───「私はいい土を使って原料負けがしたものより、それほどよくない土でも、性(しょう)に合った原料を生かしきった仕事をしたい」と。
窯にくべる薪は近所の山から伐ってくる。釉薬(ゆうやく・うわぐすり)は隣村から出る石材の粉末で間に合わせる。鉄粉は鍛冶屋の鋸くずをもらってくる。銅粉は古い鍋から取る。用筆は飼っている犬の毛から自分で作る───その考え方・やり方こそが濱田そのものなのだ。
真の創造家は、創造する方法を生み出すことにおいてさえ創造的である。今日の益子焼を代表する色といえば、柿色の深い味わいをもつ茶褐色である。これは“柿釉”(かきぐすり)と呼ばれる釉薬を使用することによって生まれるのだが、その柿釉をつくり出したのは、ほかでもない濱田だ。気の遠くなるような材料の組み合わせや方法のなかから、思考錯誤を繰り返し、ついにこの柿色にたどり着いた。しかも釉薬の原料は先ほど触れたように、隣村からもらってくるのだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。