これから「仕事人生」という大海原に漕ぎ出でんとする新社会人に3つのメッセージを贈ります。
◆就職〈職に就く〉チャンスは今後無限にある
みなさんの中には、今回入社する会社が必ずしも第一志望ではなく、下位の志望であったり、あるいは「とにかく採ってくれた会社」であったりするかもしれません。しかし、だからといって、引け目を感じることも、第一志望で入った人たちをうらやむこともありません。ほんとうの勝負は、ここから5年、10年、20年の期間をかけてやっていくものです。
私の経験を少しお話ししましょう。私は学生時代、テレビのドキュメンタリー番組に興味があり、就職第一志望はNHK(日本放送協会)でした。民間放送局にはまったく関心はなく、NHKがだめなら、もうあとはどこでもよいというくらいダントツの志望でした。相当に入社対策の勉強をしましたが、あえなく敗退。内定をもらっていたメーカーに就職しました。
就職したのはプラスという文具・オフィス用品のメーカーです。NHKへの敗北感が残る中での旅立ちでした。プラスへの就職面接は、たまたま友人がこの会社の説明会に行くからというので私もついていったという成り行きでした。
申し訳なくもそんなたまたま入った会社で、私は大きな出会いをします。文具の商品開発本部に配属され、今泉公二商品開発本部長(現、プラス代表取締役社長)と、岩田彰一郎商品開発部長(現、アスクル代表取締役社長)のもとで働きました。お二人からマーケティングや工業デザインといった分野のことを徹底的に教わることになりました。会社を辞めてからも永遠の上司として尊敬し、お付き合いさせていただいています。
映像ジャーナリズムの世界を夢みていた大学生が、いざ、モノづくりの現場で、商品戦略やらマーケティングやらデザインの世界に身を浸したわけですが、存外、自分の能力もそこに向いていたんだなと感じるようになりました。さきほども指摘したように、人間の潜在能力は仕事という器によって予想外の発達をみせることがあります。その意味においては、「自分はこの職種・業界でなければならない」と決めつけてかかることは、かえって自分の可能性を閉じることにもなります。
仕事の中に楽しさをつくり出すメーカーでの3年間が過ぎたころ、私は転職機会に恵まれ、出版社に移りました。印刷・活字メディアで情報をつくるという第2のキャリアをスタートさせました。
なぜ転職をしたかですが、それはやはり「世の中を変えていくにはメディアの力が要る。ジャーナリズムの世界で働くという初志をかなえたい」という強い気持ちが残っていたからです。そして何よりも、日経BPという会社の転職面接に受かってしまったからです。結果的に私は、日経BPで7年間、米国への私費留学をはさんで、ベネッセコーポレーションで5年間、記者・編集者として働くことになります。日経BPもベネッセも人気企業ですので、新卒で入社しようと思えばかなりの狭き門でしょう。おそらく私も新卒で挑戦していれば受からなかったと思います。ですが中途採用から入ることは、それよりもずっと容易になることが起こります。それまでの仕事実績や経験が、自分という人財の価値を上げてくれているからです。
次のページ◆12年の時を越えて出した答え
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。