「10」の夢を実現するには「10」の苦労を背負う。「2」の夢なら「2」の苦労。「ゼロ」の夢なら「ゼロ」の苦労。それが苦と楽の対称性である。苦と楽の差は体験の厚みであり、人間の厚みをつくっていく。
「なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、やっぱし、それはそれだけのものでしたね」。
───井上靖『きれい寂び』より
あえて自分の身体の一部を不自由にしてまで芸の極みに到達したい。それほどまでに近藤は苦を欲していたのでした。
ともかくも苦と楽は対称性をもちます。そしてその苦楽の幅は、その人の厚みを形成します。もし、自分がある不幸や不遇、悲しみやつらさのなかにあるなら、それとは対称の位置にある幸福や喜びを得られる可能性があります。ですから考え方によっては、自分がネガティブな状態にあることは、ある意味、すでに半分の厚みを得ているわけで、あとは残り半分のポジティブを手に入れるチャンスが目の前にあるということです。
もし、いまの自分が幸も不幸もそこそこレベルだとしたら、自分の厚みもそこそこということになるでしょう。そんなそこそこで満足していてはダメだというのであれば、矢沢さんの言ったとおり「プラス2」を狙うのではなく、「プラス10」を狙う生き方に変えることが必要です。そして身に降りかかってくる「マイナス10」を勇敢に乗り越えることで、「プラス10」を獲得する。その過程で、その人は「20」の厚みに成長していく。そしてその後、「20」の厚みに相応する仕事をし、人間を呼び寄せ、環境を変えていく。
先天的に、あるいは自分の意志のきかないところで苦労を背負わされることはさまざま起こります。ですが、そのマイナス分をプラスに転じていこうとするのは自分の選択です。また、特段苦労はないという生活のなかに、夢や志を描いて、その成就のための負荷を意図的につくりだそうとするのも選択です。人生の厚みを決めるのは、やはり自分の意志であり、選択です。
「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という言葉のとおり、自分が石になるか、玉になるか、の選択はいつも自分にあり、その境目は艱難を選ぶかどうかにかかっています。作家の村上龍さんはこう書いています。
「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。 ───村上龍『無趣味のすすめ』
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。