読書には、「啓発の読書」「獲得の読書」「娯楽の読書」がある。ここでは、あらためて啓発の読書――著者の表現した世界を鑑(かがみ)にして自分の世界を耕すという負荷作業――についてまとめる。
図に表れているとおり、啓発の読書によって2つの円が大きくなります。1つは、【2→3】で、自分の中の知の体系が再構築され大きくなる。もう1つは、【1→4】で、その本を咀嚼できる器が大きくなる。最初、読んだときは【1】の器でしか読めなかったものが、自分の中の知の体系が大きくなることで、【4】の器で読めるようになったのです。
このように、啓発の読書の場合、本が自分を大きくしてくれ、大きくなった自分が、その本をより大きく読めるようになるという相互の「拡大ループ」ができあがるわけです。
ちなみに大事なことを加えておくと、自分が読む本の大きさ・深さというのは、自分の知の体系の大きさ・深さ(=図でいえば【3】の円)によって決まる。だから、いくら良書・偉大な本であっても、「なんだ、この程度か」と思う人と、「やっぱりすごいな、この本は!」と思う人と、差が出る。本というのは、あくまで、自分の読み取る器次第なのです。
次に、2番めの「獲得の読書」について。獲得の読書とは、情報獲得、知識獲得、技術獲得のための読書をいいます。たとえば、市場調査のためにさまざまな白書や購買データを読む。新しい業務の知識を得るために、その分野の専門書を読む。資格試験のために、技術の解説書や習得マニュアルを読む、などです。
これらの読書は、図に示したように、情報・知識・技術といった固まり・断片を1つ1つ集めて積んでいくものです。その集積は、ヨコに広がったり、タテに重なったり、奥に伸びていきます。この集積ボリュームが複雑で大きい人を、博識とか達者と呼ぶ(「オタク」な人もそう)。
最後、3番めの「娯楽の読書」について。娯楽の読書は、自分を啓発しようとか、何か知識・技術を得ようとか、そういう目的はなく、ただ、楽しみのために読む行為をいいます。極端に言ってしまうと、読了後に何かが残らなくてもいい、その経過時間が心地よければいいというものです。
娯楽とは、英語では「pastime」と書くように、まさに「時間を経過させる=ヒマつぶし」というわけです。この場合の読書の様子は、図のとおり、刺激の上下を楽しむだけです。たとえば、サスペンス小説を読むとき、ハラハラがあり、ドキドキがあり、最後にクライマックスを迎えて終わる。
私は読書をこのように3種類に分けますが、すべての読書がきっちりこのいずれかに収まるものではありません。たいていは3つの混合となります。娯楽として小説を読んだとしても、その小説から啓発を受けて自分の知の体系が広がることもあるでしょうし、何かの知識が増えることもあるからです。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。