結果とプロセス、どちらが大事か。成功に躍起になる生き方と意味を充足させる生き方、どちらが幸福か───3人の賢人の言葉から考える。
さて、この記事で私が何を言いたいかというと、
1)心の成熟化に伴って、「成功」志向は弱まっていき、「意味」志向になる
2)つまり、成功という「功利的結果」を手にするよりも、意味のもとに自分が生きている/生かされている「プロセス」に喜びを感じるようになる
3)とはいえ、若いうちは大いに成功を目指し、結果を出すことを習慣づけるべき
そのあたりのことを、賢人たちの言葉から補ってみたい。
「人間の値打ちとは、外部から成功者と呼ばれるか呼ばれないかには関係ないものです。むしろ、成功者などと呼ばれない方が、どれだけ本当に人生の成功への近道であるかわかりません。
だれが釈迦やキリストを成功者だとか、不成功者だとかという呼び方で評価するでしょうか。現代でも、たとえばガンジーやシュバイツァーを成功者とか、失敗者とかいういい方で評価するでしょうか。世俗的な成功の夢に疑惑をもつ人でなければ、本当に人類のために役立つ人にはなれないと思います」。
───大原総一郎(『大原総一郎~へこたれない理想主義者』井上太郎著より)
「ずっと若い頃の私は百日の労苦は一日の成功のためにあるという考えに傾いていた。近年の私の考えかたは、年とともにそれと反対の方向に傾いてきた」「無駄に終わってしまったように見える努力のくりかえしのほうが、たまにしか訪れない決定的瞬間よりずっと深い大きな意味を持つ場合があるのではないか」。
───湯川秀樹(『目に見えないもの』講談社学術文庫あとがきより)
このお二人の無私で透明感のある言葉を、ようやく私は咀嚼できるようになってきた。しかし、仕事上で20代、30代の若い世代に「仕事観」を醸成する研修を行っている私は、こうした賢人の達観を伝えるとともに、次のメッセージも届けなければならないと感じている。それは、
「勝ち負けは関係ないという人は、たぶん負けたのだろう」。
───マルチナ・ナブラチロワ(テニスプレイヤー)
母国チェコスロバキアを逃れてアメリカに亡命し、70~80年代に黄金の歴史を築いた女子プロテニス界最強の一人が言うのだから、実にすごみのある言葉である。
そう、やはり、勝つという結果にはこだわるべきなのだ。特に若いうちは、野心でも利己心でも、ギラギラと何かを獲得しようと動き、もがいたほうがいいのだ。最初から結果を軽視して、「私はプロセス重視派です」なんていうのは、実際のところ、怠慢か逃避の言い訳である。そういう姿勢は、結局、先の二人(大原と湯川)の言った「成功を考えないこと・プロセスが実は大事であること」の深い次元での理解からも遠くなる。
逆に、若いうちに成功を求め、結果を追った者ほど、ある人生の段階に入ったときに、二人の言葉がふぅーっと心に入りやすくなる。なぜなら、欲は、よいものもわるいものも、利己的なものも利他的なものも、“ひとつながり”だからだ。欲の質は縁(きっかけ)に触れて変わる。仏教はそれを「煩悩即菩提」と教えている。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。