ほんとうの祈りは、「他からこうしてほしい」とおねだりすることを超え、「自分が見出した意味のもとに何があってもこうするんだ」という覚悟である。祈りがそうした覚悟にまで昇華したとき、その人は、嬉々として、たくましく動ける。
そんなこんなを思い含んでいけば、自分が生きること、そして、自分が働くことで何かを生み出す場合、他への恩返し、ありがとうの気持ちが自然と湧いてくる―――これこそが祈りの原点だと思います。
◆「よい仕事」とは?
物事をうまくつくる、はやくつくる、儲かるようにつくることが、何かとビジネス社会では尊ばれますが、これらは「よい仕事」というよりも「長けた仕事」というべきでしょう。「よい仕事」とは、真摯でまっとうな倫理観、礼節、ヒューマニズムに根ざした「祈り」の入った仕事をいうのだと思います。
私たちは、いつの間にか、生きることにも働くことにも、効率やスピード(即席)、利益ばかりに目がくらんで、大事な祈りを忘れている。ましてや、祈りにも効率や即席を求めるようになった。
普段の仕事現場で、自然の感覚から仕事の中に「祈り=ありがとう、そしてその恩返し」を込められる人は、おそらく「よい仕事」をしている人で、幸福な仕事時間を持っている人です。
これらをないがしろにして、「さ、正月だ、初詣だ、お祈りだ、儲かりますように(賽銭・柏手:パンパン)」というのは、どうもなぁ、と私には思えてしまうのです。
◆祈りの三段階
宗教学者の岸本英夫氏は『宗教学』の中で、信仰への姿勢を3段階に分けています。それは「請願態」、「希求態」、「諦住態」です。
1番めの請願態とは、先の請求書的祈りと同じく、神や仏、天、運といったものに何かご利益を期待する信仰の姿勢です。2番めの希求態は、信仰の根本となる聖典に示されているような生活を実践して、真理を得ようとする求道の姿勢です。そして3番めの諦住態とは、信仰上の究極的価値を見出し、その次元にどっしりと心を置きながら、普段の生活を営んでいく姿勢をいいます。
振り返ると私たちは、自分たちの祈りがついつい請求書的になっていることに気がつかないでしょうか───
「もっと給料を上げてほしい(これだけ頑張ってんだから)」、
「もっと自分を評価してほしい(この会社の評価システムはおかしいんじゃないか)」、
「上司が変わればいいのに(まったくもう、やりにくくてしょうがない)」、
「宝くじが当たりますように(会社を辞めてもいいように)」などなど。
こうした祈りは、自分の中にエネルギーを湧かせることはなく、むしろエネルギーを消耗させるものです。祈りの質を、本来のものに戻していかなければなりません。信仰も仕事も一つの道と考えれば、大事な姿勢というのは2番目の希求態と3番目の諦住態です。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。