いま魔法の杖があって、おまえさんは、“王国一賢い男”にもなれるし、“王国一ハンサムな男”にもなれる。さぁ、どちらを選ぶかね?
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『フィルモア』に出ていたころ、ロックのミュージシャンのほとんどが、
音楽についてまったく知らないことに気づいた。
勉強したわけでもなく、他のスタイルじゃ演奏できず、楽譜を読むなんて問題外だった。
そのくせ大衆が聴きたがっている、ある種のサウンドを持っているのは確かで、
人気もあればレコードの売り上げもすごかった。
自分達が何をしているのか理解していなくても、
彼らはこれだけたくさんの人々に訴えかけて、レコードを大量に売っている。
だから、オレにできないわけがないし、
オレならもっとうまくできなきゃおかしいと考えはじめた。
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オレには創造的な時期ってものが、いつだってあるんだ。
「イン・ア・サイレント・ウェイ」から始まった数年間は、
1枚1枚のレコードで、まったく違うことをやっていた。
どの音楽も、すべて前よりも変わっていたし、誰も聴いたことがないことをやっていた。
だから、ほとんどの批評家連中が手を焼いたわけだ。
連中は分類するのが好きで、わかりやすいように、
自分の頭のどこか決まった場所に押し込んでしまう。
だからしょっちゅう変化するものは嫌われるんだ。
何が起きているのか一所懸命理解しなきゃならないし、
そんなこと連中はしたがらない。
オレがどんどん変化しはじめると、やってることがわからなくて、
連中はこき下ろしはじめやがった。
だがオレには、批評家が重要だったことなんか一度もない。
やり続けてきたことを、そのままかまわずにやり続けるだけだった。
今だってオレの関心は、ミュージシャンとして成長すること以外にないんだ。
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1971年には、ダウンビート誌でジャズマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれて、
バンドもグループ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
オレはトランペット部門でも1位になった。
オレだって賞をもらってうれしいのは事実だが、
特別大喜びするような類のものじゃないってことも確かだ。
音楽の中味と賞は、関係ない。
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(1986年に)オレはホンダのバイクコマーシャルにも出たが、
そのたった一つのコマーシャルが、オレの名前を広めるという意味では
今までにやったどんなことよりも大きな効果があった。
黒人も白人もプエルトルコ人もアジア人も子供も、
オレが何をやってきたかをまったく知らない、
オレの名前すら聞いたこともなかった連中が、
通りで話しかけてくるようになった。
チクショー、なんてこった! これだけの音楽をやり、たくさんの人々を喜ばせて、
世界中に知られた後に、オレを人々の心に一番強く印象づけたのが、
たった一つのコマーシャルだったなんて、クソッ。
次のページ今この国でやるべきことは、テレビに出ることだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。