「どう働くか」「どう生きるか」を考えるとき、自分にとってのロールモデル(模範となる存在)を見つけることは大変重要である。私が最近出会ったロールモデルを一人紹介しよう。
「美しいものが実によく見えるようになったから、
もう絵は描かなくていいんだ」。 ───梅原龍三郎
梅原龍三郎(1888-1986年)は戦前・戦後の日本を代表する洋画家である。冒頭の言葉は、梅原と親交の深かった画商・吉井長三氏の半自伝『銀座画廊物語』の中で紹介されている。梅原の最晩年のエピソードを吉井氏はこう書いている―――
ある日、(梅原)先生のお宅にうかがうと、
「今朝起きたらバラがあんまり綺麗だったから、10号のキャンバスに描いてみた」
と仰り、書生の高久さんに、
「吉井君にその絵を見せてあげてくれ」と言われた。
高久さんが怪訝な顔をして、
「どこにあるんですか。今朝そんな絵をお描きになりましたか」と言うと、
「いや、描いた。そこに伏せてあるからね、それを見せてあげなさい」
と念を押される。しかし、絵はどこにもなかった。
この話を数日後、私は小林秀雄先生にした。
「梅原先生も最近錯覚するようになりましてね、
描いてないものを描いたと言っておられるんですよ」と言うと、
「それは君、錯覚じゃないよ。それは空で描いているんだよ。
そういうことを勘違いしてはいかん」と小林先生は言われた。
「これは素晴らしい話だよ。言葉が絵なんだから」
最晩年には、高久さんがキャンバスや絵の具を用意しても、
梅原先生は絵筆をとろうとしなくなった。そして、こう仰った。
「美しいものが実によく見えるようになったから、もう絵は描かなくていいんだ」
「もう絵は描かなくていいんだ」―――私はこの末尾の一行を読んだ刹那、思わず唸り声を上げてしまった。繰り返し読むほどに、梅原のこの一言はなんとも重く、広く、味わい深い。
表現する営みがすなわち生きる営みである芸術家にとって、表現をやめるなどということは、ふつう考えられない。私のような半端なもの書きであっても、死ぬ間際まで何かを書き続けたい、思考と技術を向上させたい、形にしたものを人に触れさせたいと熱望するものだ。モネは、ほとんど視力を失っても睡蓮を描き続けようとしたし、マティスは、筆が持てなくなると、今度はハサミを持って切り絵で表現しようとした。ベートーベンは聴力が不自由になっても、耳をピアノの板に押しつけながら第九を遺した。ピーター・ドラッカーにしても、最晩年に記者から「これまでの最高の自著は何か」と訊かれ、「次に書く本だよ」と答えたという。
風貌や画風から見てとれるとおり、豪放磊落な生命が横溢するあの日本洋画壇の巨人が、そうやすやすと「もう描かなくていい」とは口にするはずがない。それだけにこの一言を発した心境を想像することは実に面白い。
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
関連記事
2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。