各社から携帯電話の「冬モデル」が発表された。その中で目をひくのは・・・。
筆者にはとても便利な機能で、ケータイでもカメラでもそれが実現できるのはありがたい限りなのだが、少々心配な気もする。
生態学における「生物多様性」。「環境に適応する面からも、画一的な生物群よりも多様性を持った生物群の方が生き残りやすいと考えられる。環境に変化が起きたとき、画一的なものは適応できるかできないかの二択であるが、多様なものはどれかが適応し生き残る為の選択肢が多いからである(Wikipediaより)」。
「消費者ニーズ」という「環境」に適応するための収斂進化の結果、多様性がなくなってはいないだろうか。消費者ニーズが大きく変化した時にどうなるのか。
音楽が聴けるケータイ、ワンセグが見られるケータイ、電子ブックが読めるケータイ、ハイビジョン撮影ができるケータイ、楽器になるケータイ・・・いやいや、十分ケータイは多様性を確保しているとの論もあるだろう。しかしそれらは、オーディオプレイヤー、ワンセグテレビ、電子ブック(あるいは文庫本)、ハイビジョンビデオカメラ、楽器との収斂進化である。いや、正確には収斂進化ではなく、「片方が、もう片方の種に似た姿であることで何らかの利益を得るため、それに似る方向に進化したもの(同)」であるところの「擬態」である。
カメラはどうかというと、カメラ本来の原点回帰の動きが見える。
大人気の「デジイチ」こと、「デジタル一眼カメラ」。そして、「トイカメラ」のデジタル版、「トイデジ」。ひたすら美しい写真を撮影するための「デジタル一眼」。微妙なボケ味とビビットな色調で芸術的な撮影を楽しむ「トイデジ」。確かに撮影した写真を人に見せるということもあるだろうが、「撮影→送って共有」というよりは明らかに撮影者自身の趣味の実現に使われる商品であり、ケータイカメラとは明らかに一線を画す。
では、ケータイはどうだろうか。携帯電話の「原点」、即ち中核的価値は「通話」とiモードの登場以来は「メール」と「携帯サイトの閲覧」だ。意外とシンプルなのである。それを実現する「実体」はバッテリーが長持ちして、丈夫で、いつでも(雨の中でも)使えるような防水機能などだ。そして、現在、各社が競い合っている「擬態的機能」は、中核的価値とは関係のない「付随機能」である。
カメラに「原点回帰」が求められたように、付随機能を取り去ったシンプルなケータイを求めるニーズはないのだろうか。
シンプルなケータイというとどうしても高齢者向け機種が主となる。例えば、「1・2・3」という短縮ボタンが付いているような。さすがに高齢者であるという自覚がなければそれを持ち歩くのは抵抗がある。一方、当の高齢者はすっかりケータイに目覚め、それこそ「撮影→送って共有」という使い方をするため高度なカメラ機能や、孫と「デコメ」を楽しむというような使い方を求めて高機能ケータイへの買い換えが進んでいるという。
年代で「シンプルを求める、求めない」というセグメントをすることが間違っているのではないだろうか。
どんなに消費者ニーズという環境が変わっても、付随機能を取り去った中核的価値は変わらない。また、シンプルにそれだけを求める層もなくならないはずだ。ひたすら多様で高機能化したコンパクトデジカメとは別に、デジタル一眼やトイデジが原点回帰をしているように、ケータイも軸足に重きを置いた機種をもっと出してもいいのではないだろうかと思った。
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2015.07.10
2015.07.24
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。