全国で市民病院問題が噴出している。すでに廃止を決めた自治体、大幅な規模縮小を図る自治体がある。そんな中、民間移譲での再生を企画、自ら再選挙に打って出ることで信を問い、強力に改革を進めているのが樋渡武雄市長だ。その革新的な改革プロセスを紹介する。
この新制度は、従来の医学界を支配していたしきたりを根底から覆した。大学医局がそれまで持っていた強力な人事権を根こそぎ奪い取ったのだ。以前は市民病院などの国公立系の病院はもとより民間病院でさえも勤務医は基本的に、大学の医局が人事を決めて送り込んでいた。ところが、新制度のおかげで研修医は研修先を自由に選べる。医局の意向など完全に無視できるわけだ。
「その結果、何が起こったか。武雄のような地方病院には、誰も来てくれなりました。そりゃ当たり前の話ですよ。どうせ研修に行くのなら誰だって医師のレベルが高くて、手術の症例がたくさんあって、サポート体制もしっかりしていて、立地のよいところを選ぶに決まってるじゃないですか。残念ながら武雄には、そんな条件は一つも当てはまらないんだもん」
その結果、武雄の場合は制度導入前に16名いた常勤医師が、2006年には11名にまで減ってしまう。医師がいなくなれば、診察してもらえないから患者も来なくなる。患者が来なければ診療報酬は減り、残った医師には過重労働などのしわ寄せが行く。
「医師が減り、医療設備・機器の更新もままならず、まさに救急病院としての体をなしていなかったのです。しかもよくよく話を聞いてみると、2000年に国立療養所を引き継いだときから、ずっと毎年平均1億円の赤字なんです。5年後には黒字化するといって当時の市長が引き継ぎを決断したそうですが、うまくいかなかった。市民病院としての引き継ぎを議論したときには、地元医師会から相当強い反対運動があったとも聞いています」
元から問題はあったのだ。とはいえ当時の市長の決断を一方的に攻めることはできない。医師会に所属する医師は、ほとんどが開業医である。ということは救急救命を受け持つ医療機関が武雄にはないに等しいのだ。
「救急医療機関を公が引き受けるべきだとは僕も思います。だから市民病院として引き継いだ、その決断自体は決して間違いではないでしょう。ところが経営がまったくダメだった。やがて議会でも市民病院問題が取り上げられるようになり、2005年から経営改革のための議論が始まっています。このあたりは僕が市長になる前の話ですね」
外部コンサルタントに経営診断が依頼され、2006年に報告書が上がってきた。これを受けて市役所内で市民病院の経営問題を検討する委員会が設置される。ここから樋渡氏の闘いが始まるのだ。
⇒次回「改革の決意、そして再選挙へ」へ続く(全四回)
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FMO第28弾【佐賀県武雄市長、武雄市立武雄市民病院】
2009.10.29
2009.10.22
2009.10.15
2009.10.06