「週刊誌」と聞いて、「派手な見出しと薄い内容」「度肝を抜くスクープ」などをイメージする人も多いだろう。しかし週刊誌の代表格『週刊現代』と『週刊ポスト』が部数を急減させている。紙面の内容はあまり変わっていないような気もするが、なぜ部数が落ち込んでいるのだろうか? [長浜淳之介,Business Media 誠]
しかし、その後の経済低迷により、若い人たちが出世に魅力を感じなくなったことで、『週刊現代』と『週刊ポスト』が部数を落としていく。『週刊文春』と『週刊新潮』はサロン雑誌的な側面もあって、サラリーマンだけでなく、もう少しターゲットが広いから、あまり影響を受けなかったが、今やこちらも落ちてきている。
「総合週刊誌自体が存亡の危機です」と、元木氏は力を込めた。
元木氏より帰り際に渡された氏の近著『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)の第三章より抜き出してみよう。
「私は常々、『ものいわぬ新聞』『ものいえぬテレビ』といっている。テレビは電波法などでがんじがらめになっていて、いいたいことをいえないのはいわずもがなだが、新聞も、自称1000万部とか800万部といっているために、最大公約数のものしか載せられない。その上、記者クラブに頼りきっているから、役所の発表したものが全体の記事の六割以上にもなってしまうのだ。
その点、記者クラブへも入れず、人数も少ない出版社系週刊誌は、そのための有効な武器としてスキャンダルを使うのだ。新聞、テレビは、事件が起きて警察が動き出すまでは、ほとんど書かないか書けない。雑誌は、事件化する前の『疑惑』段階から、動き出すことができ、追及することができる」
しかし、同書にも書かれているとおり、名誉毀損の高額化、個人情報保護法などの雑誌規制が強まったことで、環境が厳しくなっているのも事実だ。だが、元木氏は「記者クラブにいて黒塗りのハイヤーで取材」するメディアだけではジャーナリズムは健全ではなく、「野良犬のように現場をほっつき歩き、何かをほじくり出して」くる雑誌ジャーナリズムが、これからますます重要になると、総合週刊誌を叱咤(しった)激励するのである。
野良犬のような雑誌ジャーナリズムだったが
確かに雑誌がなかったら、元木氏が同書で指摘しているように「『田中角栄の金脈問題』も、『創価学会の言論弾圧』も、『桶川ストーカー殺人事件での警察の怠慢』も、山崎拓元幹事長があんなにスケベなことも、多くの人が知ることはなかった」だろう。『週刊現代』が執拗に追っている、大相撲の八百長問題もである。
時には高額なカネを取材相手に払ってまで入手する、それらセンセーショナルな「独占スクープ」には、別に我々が知らなくてもどうでもいいことも多々あったが、暴くべき社会悪も確かにあったのである。ただ、元木氏の熱いジャーナリスト魂が、雑誌作りの現場に届いているかというと、疑問に思う面もある。
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なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?
2009.04.03
2009.04.02