教育においては、「知」と「情」を両輪のように回転させながら子ども達を成長させることが求められます。
僕は下記のように思うんです。
<仕事ができる人>
心×頭の点数が15点以上
<フツウの人>
心×頭の点数が9点~14点
<仕事ができない人>
心×頭の点数が8点以下
つまり
・心がめちゃめちゃできていれば、頭の回転がフツー並に持ち合わせていれば「仕事ができる」(15点)
・心の持ちようがフツウでも、頭の回転がスーパーであれば「仕事ができる」(15点)
・心も頭も並以上であれば「仕事ができる」(16点)
そして
・心が4でも頭が3であれば「フツウ」、頭が4でも心が3であれば「フツウ」
・心も頭も3であれば「フツウ」
・心や頭が3でも、もう一方がスーパーであれば「フツウ」になれる
さらに
・心が4でも頭が2であれば「仕事ができない」、頭が4でも心が2であれば「仕事ができない」
・いくら心がキレイでも、頭を持ち合わせなければ「仕事ができない」
・いくら賢くても心が悪ければ、(会社に貢献せず私利私欲に走る、という意味で)「仕事ができない」
というような感じです。
もちろん様々なケースがあるでしょうが…
「仕事ができるようにならなければ!」と目指す尺度として、この計算式が結構活きる様な気がするんです。
よくある「あいつはいいやつなんだけどね(だけど仕事がイマイチで)」というのは、心4×頭2のケースだと思います。
どうもこのタイプの人、自分が「いいやつ」と言われていることを肌で感じており、それ以上を目指さない。。。
それはそれで、組織の中で働くときに害を及ぼすこともありますよーと本人に気づかせることが大切ですし、本人も心か頭のレベルをあげてはじめて「フツウの人」と認められるよう切磋琢磨すべきかと思います。
心、あるいは頭の、生まれもっての天才は、どちらかの指標が5です。
だからこそ、一方が3(フツウ)であっても、「仕事のできる人」になれます。
ただ、凡人も努力で「心」と「頭」を4にすれば、4×4=16で、3×5=15に勝ります。
どちらも「仕事ができる人」ですが、凡人でも心と頭を磨き続ければ天才に勝てますし、天才は得てして一方を磨き忘れるもの…
天才を羨むよりも、まずは自分を磨くこと、と教えてくれる計算式です。
いかがですか?
最後になりますが…
「心さえキレイであればよい」的な、まさに「キレイゴト」な考え方は、僕は反対なのです。
その心を他人に伝え、行動を起こし、社会価値を生産するためには、必ず言語による思考が必要ですし、言語表出により相手に意志意図を伝えなければいけませんから。
「心」は人間であるための必要条件、「頭」は人間社会を発展させるための十分条件なのです。
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