1️⃣ なぜ昭和の会社では「共感」が語られなかったのか「みんな同じ」で回った時代から、「違う人」と働く時代へ
1️⃣ なぜ昭和の会社では「共感」が語られなかったのか
「みんな同じ」で回った時代から、「違う人」と働く時代へ
前回の序章で、私はこんな話を書きました。
20歳の頃、私は「自分は人からよく相談される」と思っていました。
ところが、今になって振り返ると、私は人の話を聴くことが得意だったのではない。
問題を解決することが得意だった。
そして50歳頃、女性部下から、
「あなたは、話を聞いてくれるだけでいいんです!」
と言われてしまう(笑)。
では、なぜ私はそれまで何十年も、それでやってこられたのでしょうか。
もちろん、私自身の問題もあります😂
でも、もう一つ大きな理由があったのではないかと思っています。
会社そのものが、そういう時代だった。
昭和の「できる上司」は、答えを持っていた
私が社会人になった1980年代。
上司に期待されていたのは、今とはかなり違いました。
仕事を知っている。
経験がある。
判断が速い。
決断できる。
部下に指示できる。
問題が起きれば解決できる。
つまり、
「答えを持っている人」が上司だった。
部下が、
「どうしましょう?」
と聞けば、
「こうしろ」
と答える。
そして部下は、
「分かりました!」
と動く。
これで会社が回っていた。
もちろん当時にも、人の話をよく聴く素晴らしい上司はいたでしょう。
しかし、
「管理職には傾聴・受容・共感が必要です」
などという言葉を、今ほど会社で聞くことはありませんでした。
なぜでしょうか。
「会社員」という一つのモデルがあった
当時の日本企業は、現在と比べればかなり同質的でした。
特に会社の中核を担う正社員・管理職は男性中心。
新卒で会社に入り、同じ会社で長く働き、先輩から仕事を教わり、やがて後輩を教える。
そこには、
「会社員とは、だいたいこういうものだ」
という共通認識があったのだと思います。
だから上司自身の経験が、そのまま部下へのアドバイスになった。
「俺たちの頃はこうだった」
「俺もそうやって覚えた」
「黙ってやっていれば、そのうち分かる」
これでも通用した。
つまり、相手の価値観を一から理解しなくても、
「自分と相手はだいたい同じ」
という前提でマネジメントできたのです。
ところが、「みんな同じ」が崩れ始めた
この前提が、少しずつ崩れていきます。
象徴的だったのが、女性の社会進出だったと思います。
1986年に男女雇用機会均等法が施行され、その後、育児休業制度の整備、男女共同参画、女性活躍推進など、日本社会は長い時間をかけて変わっていきました。
【なぜ今「共感」なのか?】
2026.10.11
2026.10.15
人材育成コンサルタント、シニアインストラクター
● 人材育成、DX・IT、コンサル、マーケの経験を踏まえて、人材教育の新たなアプローチを探求中 明大法なのに齋藤孝ゼミ🤣 教免3種ホルダー イノベーション融合学会専務理事 教育研究家、モノカキの時は、「富士 翔大郎」と言います。天才トム・ショルツの「BOSTON」と「マニュアル車」「海外ドラマ」をこよなく愛する静岡県民
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