31年ぶりの商業捕鯨再開で、日本に「鯨食」ブームが復活するか!?

2019.07.30

ライフ・ソーシャル

31年ぶりの商業捕鯨再開で、日本に「鯨食」ブームが復活するか!?

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日本政府は今年(2019年)6月30日、クジラの資源管理を議論する「国際捕鯨委員会(IWC)」から正式に脱退。 これを受けて翌7月1日から、釧路や下関など全国各地の捕鯨拠点で、1988年以降中断していた商業捕鯨がついに再開された。 31年ぶりに商業捕鯨が再開されたことで、喜びに沸く関係者らの期待は高まっているが、鯨肉の国内消費量はピークから激減。IWC加盟国を中心とする海外では、依然として反捕鯨の世論も根強い中、今後は国際社会からの理解や国内消費の拡大が焦点となりそうだ。 そこで今回は、古くから日本人と深くかかわってきた「鯨食文化」の歴史を振り返りながら、国際的な捕鯨問題の背景と今後について考えてみたい。

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さらに、クジラは食以外の目的でも広く利用されてきた。日本各地にはクジラの骨・ヒゲ・皮・油などを使った工芸品・日用品をはじめ、クジラを神様として祀る鯨祭りや、豊漁を祝う鯨唄が伝わる漁村もある。かつて北洋捕鯨の中心地として栄えた山口県長門市の向岸寺(こうがんじ)には、江戸時代に安置されたクジラの墓・位牌や、戒名を記した過去帳が残っており、現在もクジラを供養する「鯨回向(くじらえこう)」が営まれているという。日本人のソウルフードともいえるクジラは、まさに民族の精神性を示す神聖なシンボルとして、地域社会や人々の暮らしと深くつながっていたといえるだろう。

かつて給食にも登場した鯨肉を、再び身近な味に……

そして昭和になると、鯨肉は滋養のある身近な食材として、日本人に広く親しまれるようになった。食糧難にあった戦後には、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥が、日本人の重要なタンパク源になるとして南極海域での捕鯨を許可。昭和30~40年代には、鯨肉の竜田揚げなどが学校給食として頻繁に出され、鯨肉を甘辛く煮つけた大和煮の缶詰や、胸・腹の畝須(うねす)を塩漬けした鯨ベーコンなどの加工商品も登場した。給食の竜田揚げが好物だった筆者を含め、50歳以上の世代には、懐かしい味として記憶に残っている人も多いだろう。

しかし、1982年に1WCが商業捕鯨の停止を可決して以降、鯨肉の供給量が極端に不足し、価格も一気に高騰。調査捕鯨の枠内でわずかに流通する鯨肉は、一部の食通が愛好する貴重な食材となり、鯨肉になじみのない世代も増加。農林水産省が推計する食糧需要データによると、鯨肉の1人当たりの年間消費量は、ピークだった1962年には2.4キロ(牛・豚肉の約2倍)だったが、1987年以降は「ゼロ(100グラム以下で算出不能)」の状態が続いている。

こうしてゼロからの再スタートとなる鯨肉市場が、商業捕鯨再開を機にどこまで拡大するのかは未知数だが、捕鯨拠点の飲食店や市場関係者の間では、地域の名物や看板料理として鯨肉をPRするなど、今後の消費拡大に向けて動き始めている。すでに東京都内でも、鯨肉を使った新メニューを提供する飲食店が増えており、料理のジャンルもメキシカン・コリアン・イタリアンなど国際色豊か。国籍や世代、食文化や伝統という枠を超え、現代にマッチした形で鯨食のリバイバルブームを巻き起こそうとしている。

次のページ国際的な捕鯨問題の背景にあるネガティブな構図

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