ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。今回は、映画館の入場料がテーマ。いわば「映画のお値段」です。夏休みの季節、昔は子どものための怪獣映画と漫画、アニメなどが組み合わされた娯楽映画のセットが封切られ、映画館は親子連れでいっぱいでした。最近は、そうした光景はあまり見られなくなりましたね。現在は娯楽が多様化しているだけでなく、映画もDVDやネット配信で楽しむ時代。その変化も大きく影響しているのでしょう。そこで今回は、かつての「娯楽の王様・映画」の入場料の変遷を眺めてみましょう。
エジソンのキネトスコープは、25セント
映画の発明には、複数の人物がかかわっています。中でも代表的なのが、フランスの映画発明者として「映画の父」と呼ばれる19世紀末のフランスのリュミエール兄弟でしょう。そして、もうひとりの「映画の父」として名高いアメリカの発明王トーマス・エジソンは、1891年にキネトスコープを発明します。
エジソンが発明したキネトスコープは、スクリーンに映写される映画館ではなく、大人の胸ほどの高さがある大型の箱の中にフィルムを装填し、その箱型装置をのぞき込むというもの。動画への物珍しさから瞬く間にキネトスコープは人気をさらい、デパートやパーラーに設置されることに。このときは25セントで30秒ほどの短編映画を5本見ることができたそうですが、次第に多数の観客を集めた専門劇場でのスクリーン上映が主流になっていきます。
映画の歴史、そして映画の上映の形式の歴史は、さまざまな技術革新とも関連して長い複雑な歴史を持っていますが、加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書)などを参考に、ここでは主に日本の映画館の入場料に焦点を当てて紹介します。
1930年代に10銭だった、大衆娯楽の王様・映画
日本で映画が専門の劇場で商業的に上映されるようになったのは、1903年にできた浅草の「電気館」がはじめであったとされています。
当時は活動写真と呼ばれて一世を風靡する人気を博し、ほどなく各地に映画館がつくられるように。1930年代には、一番安い上映館の入場料は10銭ほど。設備の整った大劇場では60銭〜80銭ほどであったようです。もりそば、かけそばが10銭ほどの時代です。
戦後になると、本格的な大衆社会の到来と同時に、映画は大衆の娯楽として一気に花形的存在へ。戦後すぐの1948年の映画館入場料は、40円ほど。カレーライスが一杯50円の時代ですが、洋画の指定席などは100円以上したようです。
1955年の映画館入場者数は、約9億人
日本映画産業統計によると、1955年の映画館の入場料の平均料金は63円。この数字に消費者物価指数の数字を重ねてみると、500円程度となるでしょうか。
このころは、封切りの一番館からニュース映画専門館まで、料金にかなりの幅がありました。ちなみにこの年の映画館入場者数は、約9億人。実に驚くべき数字です。この時期いかに日本人が娯楽に飢えていたかがわかります。
この後、映画館入場料の平均は1970年頃まで数百円で推移しますが、1980年頃には1000円を突破します。これは物価高騰のほか、やはりカラーテレビの普及と娯楽の多様化が原因になっているようですが、入場料を上げることで、映画館の減少、興行収入の減少をカバーしていたことになります。同時に、50年代に約9億人を記録した入場者数は、1億人台に低下。ちなみに1989年までは「入場税」という制度がありましたが、これは消費税の導入で廃止されました。
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