「自信」とは読んで字のごとく「自らを信じる」ことだが、そこには2つの信じるものがある。1つは自らの能力・成果を信じること。そしてもう1つは、自らやっていることの価値・意味を信じることだ。前者の自信は「長けた仕事」を生み、後者の自信は「強い仕事」を生む。
◆2種類の自信
きょうは自信について見つめなおしてみたい。
「あなたには自信がありますか?」と言ったとき、その自信とはどんな含みだろうか。つまり、「自信」とは読んで字のごとく「自らを信じる」ことなのだが、自らの“何を”信じることなのだろうか。
今日では、何か目標や課題に対しそれをうまく処理する能力が自分にある、そして具体的な(量的)成果をあげられると強く思っている―――そんな意味で使われる場合がほとんどだ。つまり、「自らの〈能力と具体的成果〉を信じる」ことを自信と言っている。しかし、自信とはそれだけだろうか? 自信という言葉はもっと大事なものを含んでいないだろうか?
広辞苑(第六版)によれば、自信とは、「自分の能力や価値を確信すること。自分の正しさを信じて疑わない心」―――とある。そう、能力を信じる以外に、自分の「価値」を信じる、自分の「正しさ」を信じるのも自信なのだ。
だから、たとえ自分の能力に確信がなくとも、具体的成果が出るか出ないか分からないにしても、自分に(自分のやっていることに)質的価値を見出し、意味や正しさを強く感じているのであれば「自信がある」と言い切っていいのである。
自信を2つの種類に分けるとすれば、
○1:「能力・成果への自信」
=自らの〈能力と具体的成果〉を信じる
○2:「やっていることへの自信」
=自ら行っていることの〈価値・意味〉を信じる
となるだろうか。前者は「達成・優劣志向」であるし、後者は「意義・役割志向」である。
◆水木しげるさんの自信は何だったか?
私は2番目の自信を強く持ち続け、結果的に大成した人物として『ゲゲゲの女房』で再び時の人となった漫画家・水木しげるさんをイメージする。
水木さんは終戦後、兵役から戻り絵を描く商売で身を立てようとするのだが、売れない時代が何年も続き、夫婦は赤貧の日々だった。水木さんには売れる漫画を描くという(いわばマーケティング)能力への自信はまったくなかった。しかし、自分の描いている作品への価値や意味に関しては揺るぎない自信があった。ゲゲゲの女房こと武良布枝さんは、どん底の貧乏で明日のことは見えなかったが水木さんのその自信にずいぶん励まされもし、安心感も得たという。
自分に果たして能力があるのか、それで成功できるのか、などをいちいち深刻にとらえず、自らのやっていることを信じ、肚を据えてひたむきに仕事と向き合う。そしてつくり出したものを世間に「これでどうだ!」とぶつけることをやり続ける。自らが信じる価値や意味の中からエネルギーを湧かせる―――これも間違いなくひとつの自信の姿である。
『ゲゲゲの女房』の佳境は何と言っても、長く続く不遇の日々のなか、大手出版社の編集者がひょっこりと事務所に現れ、以降、水木さんがとんとん拍子に出世していく箇所だ。原著『ゲゲゲの女房』では第4章にあたり、見出しは「来るべきときが来た!」となっている。著者の布枝さんによれば、夫(水木しげる)の信念と積み重ねた努力が報われないはずがない、報われる準備をしてきて、いま、それがこういう形で報われたのだ、ということだ。
水木さんは、1番目の「能力・成果への自信」というより、2番目の「やっていることへの自信」を捨てなかったことによって大輪の花を咲かせた事例である。さらに言えば、2番目の自信を貫き懸命に仕事をやった結果、ついには1番目の自信も獲得した、そんな事例だ。
次のページ「やっていることへの自信」は、何よりも“粘り”を生む。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。